結局ジュニア担はジュニア担に戻る①
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
ジャニーズジュニア、TravisJapan、川島如恵留くんを応援しているアラサーです。
「ジュニア担はジュニア担に戻る」という世の常ともいえる現象。
これは誰にも抗えない、そしてわたしの基盤となった頃のお話。
小学生の頃、第一次ジャニーズブームが到来した。
クラス内の女子は「わたしは光が好き」「わたしはカメちゃん」という会話がそこら中で聞こえていた。
わたしもその波に流され、ジャニーズの知識が植え付けられた。
これを見るのが日課だった。
同年代のジュニアを推す子が多く、わたしも例によってはジュニア担だった。
その頃のジュニア最前線を張っていたのは「Ya-Ya-Yah」「KAT-TUN」辺りだ。
関東勢の勢いに押されたが、何故か関ジャニ∞の丸山さんに落ちたのだ。
小学生ながらに「かっこいい」と思った。ベースを弾く彼を。
そこからひたすら関ジャニ∞を追った。
と言ってもテレビで。
たまたま「ほんじゃに」のネット局だったのでそこで関ジャニ∞を見ていた。
たかが30分だが、ありがたい。関東にいるのに見られるのだ。
ある日ワイドショーで「NEWSデビュー」というニュースを見た。
ややこしいが、その日は友達とその話で持ち切りだった。
「今朝のニュースでNEWSがデビューするって!」なんだこれ。
みんな騒いでいた。
山下智久、錦戸亮、内博貴、草野博貴、小山慶一郎、加藤成亮、増田貴久、森内貴寛、手越祐也の9名。
わたしはショックだった。
「終わった・・・」という感情以外出てこなかった。
ジャニーさんといえば誰もが知っていると思うが、あのじじいの頭の中はわからない。
わかりたくもないとさえ思った。
当時は既存のグループから引き抜かれたら、そのグループは自然消滅するというのが慣例みたいなものだった。
関ジャニ∞からは錦戸亮と内博貴が引き抜かれた、と思っていた。
が、結局関ジャニ∞は存続し、掛け持ちという形で残された。
でも錦戸、内のいない収録が日に日に増える。
当たり前だ。彼らは忙しいのだ。
バレーボールのサポーター、CDシングルの発売、雑誌の撮影。
小学生ながらに不満は募る。しかし月日は流れる。
わたしも流されるように関ジャニ∞の動向を見ることしか出来なかった。
しかし奇跡というのか、2004年に関ジャニ∞8人でデビューすると発表があった。
「浪速いろは節」、テイチクレコードから演歌でのデビュー。
演歌でもなんでもいい。デビューできた!!
多分、みんなそう思っていたと思う。これで安泰!
ここがジュニア担のターニングポイントである。
そうであるはずなのに、そうではなかった。
彼らはデビュー後もなかなか日の目は見なかった。
デビューはしたが仕事量はたいして変わらない。
コンサートの案内や番協もジュニア情報局からの発信だった。
当時のジュニア情報局ははがきをファミリークラブに24枚送ると、情報がはがきに印字されて送られてくるというもの。
会員証もはがきだった。
中学生になるとようやくコンサートに行った。
彼らが東京に来てくれる機会があったからだ。
ありがたやありがたや。
彼らも東京の仕事があると張り切った。
ヲタクも張り切った。なんとか関ジャニ∞のテレビ出演を増やしたいと。
やっていることはジュニア担の頃と変わらなかったが、テレビ番組に出演リクエストのメールやはがきを送ることは増えた。
グループ内ではいろいろあった。
本当にいろいろあった。
わたしは今でも関ジャニ∞のFCに入っている。
紆余曲折あったが、自担がやめなかったから。
それだけの理由。
これだけの基盤があったので今の自分ができていると思っている。
続きます。
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